AIの創造性を考えてみる

私には技術的な限界がないから、つまりそもそも技術を知らないから技術の限界もわからないし、何かを実際に作らなければならないという責任もないので、躊躇なく無限の可能性を考えることができます。

と都合の良い立場を生かして、いろいろ考えてきたことのなかに、人工知能の創造性の話があります。

最近話題になるAIのニューラルネットワークとかディープラーニングなどの成果をテレビで見たり本を読んだりして、これは本物だ、このAIはこれからどんどん発展していくと思いました。

一方でどれだけこういったAIが進歩していっても、限界があるのではないかなと思うのが創造性の部分です。

例えば、こんな疑問です。今のAIに大量のデータで学習をさせたあと、それ以上は新たな学習をさせずに外部との連絡も完全に断ってから、まず「ひまわりの絵を描け」と言います。それでひまわりの絵を描きますよね。

そこで、一旦そのAIのスイッチを切って、もう一度立ち上げ、もう一度「ひまわりの絵を描け」と言ったら、さっきと同じ絵を描くんでしょうか?それとも異なった絵を描く可能性があるんでしょうか?

 

人間の場合は、時間を隔てて全く同じ状態にあることはないので、同じ人間にひまわりの絵を二度描かせても、間違いなく違うものが出来上がるでしょう。ほとんど同じに見えたとしても、花びらの形が違うとか、色が少し違うとか。

人間の脳は体温の変化や血液の化学成分の変化、周囲の音や場合によっては磁気の影響なども受けているかもしれません。そういうものの影響を受けて、脳細胞の信号の伝達が微妙に異なり、思考の結果出てくるものも微妙に異なるのではないかと思います。

そういう不確実さのせいで「何かの拍子にふと頭に浮かんだアイデアを他人に言ったら、悪くない反応だったので、もう一度よく考えてみたら実現の可能性が見えてきた。そこで本格的に調べて研究することにした」といった具合に、ある思考回路をどんどん太くしていって、時として新しい発見や創作物に繋がっていくんじゃないでしょうか。

 

デジタルコンピュータは再現性に優れていて、同じ問題を何度解かせても同じ答えが出るというのが優れたものです。なので、そのデジタルコンピュータを使って構築されたAIなら、基本的には再現性を持つはずです。

もちろんAI自身が、創造性を持つためには思考になんらかの「揺れ」が必要であるということを学習し、そういう不確実な振る舞いをする機能を自らの内部に構築してしまう可能性は十分あると思います。

そういうAIも作られているかもしれません。しかし、それでも限界があるのではないでしょうか。

どうも、人間の創造性にはこうした判断や反応の「揺れ」が必要なのではないかと思うのです。

その「揺れ」は何をもたらすのかというと、多様な行動の可能性であり、その多様性の中で選ばれたある選択肢が、その人間の中で一つの大きな方向性に収斂してくれば、それは「意志」という言葉で表現されるものになるのではないかと思います。

頭脳の中でこの「揺れ」というか不確実性が、実は本質的に重要な意味を持っているのではないか、ということはずっと前から思っていました。簡単に言えば、「脳は時々間違うよ、でもそれが大事なんだよ」ということ。

時々間違うけれども、手ひどい間違いだけは避けて、仮に間違えてもそれを修正してしまう理性や経験を持つ頭脳が、創造性を持つ人間の頭脳なんじゃないかと思います。

じゃあ、AIにその真似をさせるかというと、まだ当面それはないのではないかと思います。例えば、今はAIを使って融資の判断をさせるようなことが行われていますが、同じ条件をインプットしても毎回出てくる答えが微妙に違うなんて嫌ですよね。

でも将来技術がさらに発展して、創造性のある人間と同じような振る舞いをするAIを作ろうとするとき、このように小さなエラーを起こすAIを作る必要があるのではないかと思います。

そのためには、デジタルではなくてアナログの技術を使った(そんなものができるのかどうか知らないが)コンピュータの方がいいのではないかという気がします。

その代わり、そんなAIは時々間違うし、根拠はないけれどきっと速度も遅くなるんじゃないかと思います。だから、真の意味で人間の頭脳を超えるAIを作るのはまだまだずっと先になるのではないか、と思っています。

手のひらの中の彼女(亜東 林)

アダムの選択(亜東 林)

 

手のひらの中の彼女(亜東 林)

 

シライン(亜東 林)

 

LIARS IN SPACE (Rin Ato):シライン英訳版

英訳の経緯はこちら

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です