神社のこと(3)ー 自転車

思い返して見ると、よくこんなことをやっていたなと思います。それを許してくれていた神社には感謝するしかありません。

自転車に乗り始めたのは4、5歳ぐらいですが、当然のごとくこの神社で練習をさせてもらいました。最初は自転車を押して木の橋を渡るのが大変でしたが、体が大きくなるにつれ苦もなくなったように記憶してます。

車が来ないので、補助輪外しの練習をするにはもってこいの場所でした。しかも、この神社は本殿と拝殿の間が塀でつながっていて、その周囲を自転車で走ることができます。

補助輪が外れると、当然のように近所の子供たち数台でここを周回するレースが始まりました。コースの途中には木の根が出たところがあり、それを使って思いっきりジャンプをしてみたり、急ブレーキをかけて後輪をすべらしてターンしてみたり。

このぐらいならまだいいですが、そのうち別の子供の集団が来て、こともあろうかこっちとは逆回りのレースを始めたり。石垣の角を回る場所があって、完全なブラインドコーナーになってるから、衝突事故も頻発してました。

大きな石碑や石でできた柵のあたりでは、狭い空間をどれだけ足をつかずに通過できるかという、今で言うトライアル競技のようなこともしてましたね。当時はもちろんそんなスポーツのことは知りませんでしたが。

自転車といえば、この神社の境内で自分の自転車を強奪?されたことがありました。小学校1、2年生の頃、自転車に乗っていると、たぶん5、6年生ぐらいの上級生が歩いてやってきて自転車を貸せと言います。

見ると大きな透明のビニール袋を持っていて、中には水と大きなフナが一匹入っていました。たぶんどこかの川か池で獲ったのでしょう。これが重くて歩くのが大変だから自転車を貸してくれと。

内気も内気の自分としては、抵抗することなど考えも及ばず、そのまま貸すとどこかへ行ったきり帰ってきませんでした。

その翌日、母親に連れられて交番に行って届けを出しました。おまわりさんに、どんな状況で自転車を持って行かれたのかと聞かれても、恥ずかしくて何も答えられず。今考えてみれば、母親にもフナのことは話しておらず、あとで話すとなんで今頃話すんだと呆れられました。

結局自転車はそのままなくなってしまった、と思っていたら1週間ほどしてから、500mほど離れた別の神社で境内に放置されていた自転車が見つかったと警察から連絡がありました。

この神社も同じぐらい古い由緒のある神社です。まあ、哀れに思った神様が連携して自転車を返してくれたんだと思っています。

アダムの選択(亜東 林)

 

手のひらの中の彼女(亜東 林)

 

シライン(亜東 林)

 

LIARS IN SPACE (Rin Ato):シライン英訳版

英訳の経緯はこちら

 

 

神社のこと(2)ー 運動神経はここで育まれた

神社の裏に住んでいた頃の話。

境内に入る手前には幅1.5メートルほどのドブ川が流れていました。今は綺麗になっていますが、この頃(1960年代)は環境問題なんかお構いなし。主に生活排水の影響でしょうが、川底の泥は真っ黒でひどい臭いがし、あちこちに糸ミミズが群生していました。

このドブ川に線路の枕木のような材木が二本渡され、そこを渡ると高さ1メートルほどの石垣の上の神社の境内に入ることができました。

生まれた時からここにいるから、しょっちゅう連れて行かれたのですが、たぶん自分でこの橋を危なげなく渡ることができるようになった3歳ぐらいからは、一人で行っていたと思います。

なぜだかわかりませんが、この頃、この神社の境内には子供の遊具が設置されていました。滑り台と砂場、ぶらんこ、鉄棒、ジャングルジム、うんてい、シーソー、親子ブランコ(箱ブランコの方が一般的な呼び名みたいですね)。

と思っていま検索したら、子供が多くなり始めた頃にそういう子供の遊び場を確保しようという政策があったという記載がありました。他にはっきりした記事が見つかりませんでしたが、かなりお金のかかる話でもあり、自治体が整備していたんでしょうね。児童公園を整備できない場所での代替策だったんでしょうか。

また、昭和40年代は交通事故死者が急増した時期なので、その対策かもしれません。確かにこの神社の周りには交通量の多い道がなく、小さい子供でも安心できる環境でした。

当時はまだガキ大将がいた時代。そんないい環境には村からガキどもが集まってきます。私は主に隣に住む一つ年下の友達とその中に参加していました。

単純に走ることから、缶蹴り、ボールを使ったバラあて(ドッジボールのコートがないような遊び)、キャッチボール、滑り台の手すりを滑り降りたり、ブランコでジャンプして前の柵を飛び越えたり、上に書いたドブ川を飛び越えたりと随分鍛えられました。

冷や汗ものの危ない場面にも遭遇したことがあります。隣の友達ともう一人、村からきていた2〜3歳年下の男の子と親子ブランコで遊んでいた時、無茶な乗り方(ちょっと表現できない)をしていたその男の子が、限界まで大きく振れているその箱ブランコの下に落ちてしまいました。

その瞬間重大事故が目に浮かび、一緒に横で見ていた友達と慌ててブランコを止めようとしたが、とてもじゃないけど間に合いません。もうアウトと思ったら、その子は地面とブランコの間の20センチそこそこの空間に機敏に身を伏せて、ぎりぎりで難を逃れました。すぐに二人でブランコを止めましたが、あれは本当に危なかった。

調べて見ると、同様の状況で箱ブランコの重大事故がけっこう起きていたようですね。今では撤去されていることも多いようです。もしあの時、体の一部でもブランコに引っかかっていたらと思うとゾッとします。そんな場面に居合わせたなら、今ここで神社の話など書く気にはならなかったでしょう。多分小学校1、2年の頃のことだったと思います。

こんな綱渡りみたいな場面も見たけれど、小学校低学年あたりまでは、随分ここで遊ばせてもらいました。当時は野球真っ盛り。キャッチボールも随分したし、社殿を囲むブロック塀や石垣めがけてボールをぶつけたりと随分失礼なこともしましたね。すみません。

でも、小学校低学年のキャッチボールには十分な広さでも、打撃練習には狭い場所だったから、バットでボールを打つ練習はぜんぜんできませんでした。だから、守備は上手になったけれど打つほうがからっきしだめで、その後の草野球人生では全く活躍をすることができませんでした。

神社のこと ー✨ 新作「シライン」完成✨

生まれてから高校を卒業するまで、小さな神社の裏に住んでいました。裏も真うら、玄関出て5秒ほどで境内に入ることができる場所です。10歳の頃に引っ越しましたが、そこは少し遠くなり、10秒ほどかかるようになりました。

小さな神社ですが、数年前に行ってみたらこの神社の由緒を書いた立派な石の案内板が立っていました。昔はこんなのなかったんですけどね。

子供の頃はぼんやりと”歴史のある神社なんだろうな”と思っていましたが、やっぱり古かった!案内板を見ると、この神社の始まりは1200年ほど前ではないかとのことです。

でも、このあたり(大阪)にはそういうところも特に珍しくはありませんからね。この場所や近くの地名も、そのぐらいの歴史がありそうな名前だし。

生まれた時から18年間ずっとここにいたから、自分では気がつかない部分でも、この神社の影響をかなり受けているのではないかと思います。特に幼いころの影響は大きいでしょうね。

そういうわけで、まず「シライン」というタイトルだけが先に決まり、そこから物語を書き始めるという無謀なことをしてしまいました。

ちなみに、神社とか聖堂をあらわす英語のshrineはカタカナでは「シュライン」と表現する場合がほとんどのようですね。でもなぜか昭和風のシラインという発音が頭にこびりついてしまい、そのままにしてあります。

この神社が話の中でどういう意味を持つのか、実は自分でもうまく説明できないのですが(笑)、なにか多くの人の意識が向かうヘソのようなものを書きたかったのかもしれません。そういうものが今の社会には減ってきたんじゃないかと思いますから。

話の中の神社に関する記述の中でも、お祭りの場面が書けたのを本当にうれしく思います。子供の頃に経験したあのトリップ感をいつか表現してみたいとずっと思っていたので。(なお、階段を登ってくる場面がありますが、この部分は別の神社での風景なんです。住んでいたのは平地にある神社の裏です)

とってもてこずりましたが、他にもいろいろこれまで考えてきたことが書けたように思います。ちょっと長いですが、よろしかったら読んでみてください。↓

なお、神社が出てきますが火星やスペースコロニーも出てきますのでご注意を。

神社の思い出ももう少しブログに書いておきたいと思います。