ナショナル・テキスタイル・ミュージアム

国立織物博物館です。先日初めて行ってきました。なぜか入場料無料のミュージアムです。

場所はムルデカ広場のすぐ近く。旧連邦事務局ビル(Sultan Abdul Samad Building)から一つ道を隔てた隣り。よく似たデザインの美しい建物です。


National Textile Museum


入り口

受付で名前を書いてすぐに入場。中は全体的に薄暗い照明。展示はなかなかしっかりつくってある印象です。



入ってすぐにバティックの製作プロセスの説明展示

多民族国家のマレーシアらしくマレー系、中華系、インド系をはじめ、ボルネオ島のサバ州やサラワク州などの少数民族の特徴的な織物なども展示されています。


ケダのバティック



解説はマレー語と英語を併記


サラワクのイバン族

展示はバティックのほか、ソンケットなど他の織物やビーズ刺繍などのハンディクラフトもありました。


ソンケット


刺繍


ビーズサンダル

解説は各々のテーマごとにマレー語と英語を併記したパネルが置かれていました。



解説パネル

1階と2階があり、1階は技術や織物の発展の歴史についての展示、2階は各民族の文化的な側面などをテーマごとに展示、といった感じでした。

全体に照明がやや暗く、展示もガラスケースに入ったものが多かったので見にくいものもありましたがそれなりに力の入った展示でした。写真撮影OKです。

ギフトショップとカフェテリアがいま閉店しているのが残念でしたが、KL観光の中心地の一つである独立広場のすぐ隣りですし、何よりも無料なのでふらっと入ってみても良いと思います。


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マレーシア のバティックの歴史(3)

こんな風に発展してきたマレーシアのバティック産業ですが、1990年代にはオリジナリティーや創造性の成長が弱まり、新しい製品や市場の開発にもあまり熱がこもらなくなったそうです。そんな中、2000年代に入ってバティック産業の再活性化の取り組みが行われています。第5代首相の夫人が音頭をとってバティックを世界に広めていくための様々なプロモーションが行われたり、数々のコンペティションやエキシビションが開催されたりしています。2008年には公務員は木曜日にバティックを着るよう奨励され、今も政府機関に行くと普段はスーツを着ている男性がカラフルなバティックシャツを着ているのが見られます。マレーの女性の多くは普段からカラフルなバジュクロンという民族衣装を着ています。普段着には手作りのものは少ないかもしれませんが、バティックの柄を使ったものが多く見られます。また、お祝い事などのあらたまった会合がある時や、ホテルのボールルームで行うようなレセプションの際には、男女とも民族にかかわらずシルクのカラフルなバティックで着飾って参加することもめずらしくありません。

マレーシアではこのようにバティックはごく身近にあるものですが、私の読んだ本の中ではマレーシアのバティック産業の将来については様々な考えがあるようです。ある人たちは21世紀はバティックのモチーフを取り入れた大量生産の時代であり、手作りのバティックはスカーフやクッションカバーやテーブルクロスなど小さなものに限られて行くだろうと。また他の人たちは、バティックにあくまでこだわり、あらたな状況への適応やイノベーションをしていくべきだと。実際にバティック産業に関わる若者が増え続けており、作家のアイデアや能力をフルに表現したバティックは裕福な人や理解者に売れているではないかと。

この本の著者はマレーシアのバティックの将来はこの中間のどこかにあるのではないかと言っています。

バティックを知る人たちはバティックを美しく作り上げる技術や熟練、素材などの素晴らしさを知っており、その不可欠の要素である「手作り」の良さを好むことから、手書きや型押しによるバティックはこれからも間違いなくマーケットで一定の位置を占めるだろう。一方で、技術が進歩した今、デジタル技術や最新のプリンティング技術を使えば従来のバティックが表現してきたものと同様の柄の布を大量安価に生産することもできる。これらをバティックと呼ぶことには当然反対もあるが、高価な手作りのものを使う余裕はなくとも、バティックのコンセプトやマレーシアの文化を大切に考える人たちは、これからもこういった製品を大いに利用し続けるだろう、、、と。

マレーシアのバティックが広く世界で使われるようになるにはまだまだ課題もあり、色や柄も従来のものに制限されることなく今のファッショントレンドに合うようにしていかなければならないと、世界的に活躍するマレーシアのファッションデザイナーは言っているそうです。また、マレーシアでは主に合成染料が使われてきましたが、環境への負担の懸念から、自然の染料を使用したり新しい自然染料を求める動きもあり、新しい時代に適応して行く努力も行われています。

バティック=ろうけつ染めという観点からマレーシアのバティックを見ていると、これ本当にバティックと呼ぶの?と疑問が浮かんでくるものがあります。私にとってこれはずっと疑問だったし、バティックについては時折インドネシアからマレーシアに対して「文化を盗むな」といった非難と論争も起こっているので、今回インドネシアとマレーシアのバティックの歴史的な関係や違いについて調べてみようと思った次第です。このようにマレーシアでバティックと呼ばれているものは、伝統的な手法のほかにもいろんな技術を使って作られており、中には確かにこれバティックと呼ぶの?というものもありますが、私としてはこうした技術の種類や、手作り、大量生産に関わらず、マレーシア国外ではいまいち知名度のないマレーシアンバティックあるいはその文化を受け継ぐものが、もっともっと発展していってくれることを期待しています。

参考にした資料は以下のとおり。マレーシアのバティックに関する情報は本当に少ししか見つからず、多くは1. からです。

よくわからないことや曖昧なことはできるだけ書かないようにしましたが、もしだいじなことがごっそり抜けおちていたり明らかに間違っている内容があれば指摘していただければ幸いです。

1.MALAYSIAN BATIK : REINVENTING A TRADITION

2.ジャワ更紗ーいまに生きる伝統

3.UNESCO INTANGIBLE CULTURAL HERITAGE: INDONESIAN BATIKのページhttps://ich.unesco.org/en/RL/indonesian-batik-00170

4.Batik-Wikipedia, Malaysian Batik-Wikipedia

5.その他web上の情報など

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マレーシア のバティックの歴史(2)

マレーシアでバティックが本格的に発展するようになったのは1930年代。ジャワで19世紀中頃に発展した金属製のろう置きのための型=チャップが広く使われるようになりました。最初の品質はよくなかったようですが、それでもこのバティックは地元の人が使うサロンなどに使われ、一部は国外にも輸出されたとのこと。この発展の背景には、工業化されしっかりとして表面が滑らかな綿布がインドやイギリスから手に入るようになったこと、また、19世紀の後半には自然染料よりも取り扱いやすい合成染料も出てきたため、精密でカラフルな柄が描けるようになったことがあるようです。また、クランタンやトレンガヌではそれまで、絹や綿の機織りに従事していた女性たちがこのように染色の分野へ徐々にシフトしていったことも、この地域でのバティックの生産が加速される要因として考えられるものです。さらにこの頃から、ろうけつ染めではないいわゆる絞りの技術や、木製の型を使ってプリントする方法、シルクスクリーンのような技術も試されるようになってきました。

チャップを使用するバティックの柄として、マレーシアでは自然から得たモチーフを好みますが、イスラム教の観点から生き物(人を含む動物)を描くことが禁じられているため、バティックの柄として動物をリアルに描くことは一般的にはありません。大半は植物で、マレーシアでよく知られる花や外国の花、フルーツや木の葉などがよく描かれます。ただし、動物であっても広く用いられている蝶のほかに、孔雀やイナゴ、ヒトデ、かたつむり、魚、エビなどはモチーフとして様式化されたものが使われることがあります

1957年のマレーシア独立以降、政府機関が徐々に整えられていき建国の熱気とともに様々な分野での人材育成も行われ、バティックの製作においても技術を学んだ人たちが活躍するようになります。また、この時期は世界でも多様な文化に対する興味が膨らみ、マレーシアのような「エキゾチック」な地域への旅行や、そういう地域にある芸術や工芸品に対する嗜好が広がり始めた時期と一致し、バティックについても国際的なマーケットが生まれ始めました。1960年代にはツーリストや現代的なファッションのニーズに対応するため、チャップを使用したバティックがマレー半島西海岸のいろんな場所でも生産され始めました。ファッション性の高いものはクアラルンプールやその周辺の工房で生まれ始め、都市生活者や外国人向けにバティックが作られました。漂白する手法を使った柄作りなども行われています。

1970年代には経済も発展し始め、チャップによる伝統的な作り方にこだわらないユニークなマレーシアンバティックを作る機運が盛り上がります。国内外で学んだ若者が従来の概念にとらわれない様々な手法を使い、自由な発想でアートと工芸とファッションを組み合わせた新しいタイプのマレーシアンバティックを作り始めます。例えば太い線を描くために様々なサイズのブラシを使用して蝋を置いたり、チャンティンにとどまらず芸術的なインパクトを生む道具をろう置きに用いたりしました。現在もよく見られるように蝋を置いたあとにブラシによる染色も行われます。このようにマレーシアのバティックはそれまでチャップを使った型押しが中心だったものが、70年代には手書きのろう置きが盛んになります。しかし、これらの手書き手法はインドネシアの伝統的なバティックに見られるような、細密で複雑かつ熟練と長い製作時間を要するものを目指すのではなく、一般的に明るく自由で大胆、しばしば抽象的でそれまでにない色使いが志向されるようになりました。今日マレーシアのバティック工房を訪ねた時によくバティックの製作過程をデモしていますが、よく見るのはチャンティンを使って自由な柄を描いた布地に筆で染色している場面です。このように、チャンティンの使用と70年代に始まったマレーシア独特のバティックの創造は、その後のマレーシアのバティック産業の発展に大きな役割を果たしたようです。

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