マレーシア のバティックの歴史(1)

マレーシアのバティックの歴史について調べてみました。インドネシアのバティックについてはいろんな書籍や情報が見つかりますが、マレーシアのものは本当に少なく、とても限られたソースからですが自分なりに理解できたことを書いてみます。でもまずはインドネシアのバティックから。

インドネシアの伝統的なバティックの製法はとても緻密なものです。チャンティンという道具を使って溶かした蝋で布に柄を手書きし、その布を染料の中に浸して全体を染め、染まった後に煮て蝋を取り除くと蝋があった部分が染められずに残るという、蝋けつ染としてのバティックの基本の作り方が今も脈々と受け継がれています。一般的にインドネシアのバティックはたいへん細かく複雑な柄を描くために手間がかかり、すべて手書きで作業を行う場合、一枚のバティックの布を製作するのに数ヶ月あるいは1年もかかるものもあるそうです。

もちろん、完全な手書きだけでなく、19世紀から発達したチャップと呼ばれる銅製の型によって蝋を布に置く技術なども盛んに使われるようになります。現代では様々な新しい手法も用いられているでしょうがインドネシアのバティックというと、このような伝統的な手法によって作られたものがその中心にあります。とても緻密な柄と、自然のものから抽出した染料を使った、茶色などややくすんだ色合いを多用した布を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

インドネシアのバティックは2009年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。当時インドネシア側からユネスコに提出された文書に書かれてありますが、インドネシアのバティックは深く生活や文化に根ざしています。例えば妊婦が着る衣服や赤ん坊を包んだりおぶったりする布、その子が初めて地面に触れる時の儀式に使う布、結婚式の衣装、最後は亡くなった人の体を包む布まで、まさに生まれてから死ぬまでバティックが使われ、しかも各々のイベントにふさわしいバティックの柄が決まっているそうです。また、インドネシアでは王族をはじめとしてそれを使う人の身分に応じた柄や色、さらに生産する地方によっても独特の柄や色使いがあるなど、バティックは複雑で緻密なインドネシアの生活や文化とつながっているそうです。

このインドネシアのバティックがいつ頃からあるかということについては、いくつか資料を見てもはっきりわかりませんが、ジャワでは18世紀にはある程度知られていたようだとか、16世紀に最初のBatikという記録があるとか、少なくともそれより以前に作り始められたのは間違いないでしょう。ろうけつ染め(あるいは米や植物のペースト、泥などを使った防染)の手法自体はインドネシアのバティック以前にも世界の各地で使われており、どこが起源かということは誰もはっきり言えないようです。そんな中で、インドネシアのバティックが有名になったのは、伝統に裏付けられたとても緻密で繊細なろうけつ染めの技法と、たぶん何千とある様式化された柄や色使いなどに多くの人が魅せられているからだと思います。

一方のマレーシアは中国などの東方の国々と、西方のインドやアラブ世界を結ぶ海上交易路の真上にあるので、古くからいろんな文物や技術がもたらされたところです。その中でもマレー半島東海岸のタイとの国境に近いクランタンやトレンガヌは、半島西海岸(=強力な諸王国があり、またポルトガルやオランダ、英国などの進出にも晒されたマラッカ海峡沿いの地域)と離れていること、他方でタイなどの他民族の国に近くその影響を受けやすいこと、当時の王国が奨励したこと、などによって独自の芸術や工芸が花開いた場所だとされています。そんな条件のもと、ここでは綿や絹の生産も行われ、主に女性がこれらの産業に携わったそうです。綿や絹の布に金糸や銀糸で複雑な模様を刺繍で描くソンケットもインドや中国から入ってきた布や糸の影響でこの地域で発展しました。

また、この東海岸や東南アジアの各地にも大きな影響を与えたのが、インド北西部のグジャラートから来たパトラという布。これはダブルイカット(double ikat=経緯絣(たてよこがすり))と言われる織物で、あらかじめ模様に合わせて糸の部分部分を染め分けておき、そうした縦糸と横糸を折り合わせて模様を描くというとても高度な技術を必要とするものです。パトラは絹織物やソンケットの織り方や模様の作り方に影響を与えただけでなく、そこに描かれていた模様は、のちにバティックなどすでに織られた布に染色していく場合の模様にも影響を与えたそうです。

ジャワでバティックが作られるようになった頃には、もちろん今のマレーシアとインドネシアの国境はないので、各地の間の交流によってバティックそのものやそれを作る技術もジャワからマレー半島に幾度も伝わったものと思います。しかし、マレー半島でジャワのバティックがよく知られるようになったのは19世紀の初め頃とのこと。ジャワの北岸の職人たちがマレー半島のムスリム(イスラム教徒)向けのバティックを作ったようです。マレーシアでも東南アジアの人がよく着るサロン(スカートのように腰に巻く布)を着ます。サロンには最初はクランタンやトレンガヌで織られた格子縞の布やインドから輸入した布が好まれていましたが、やがてジャワのバティックが少しずつ用いられるようになり、その後、クランタンやトレンガヌで自らバティックのサロンを作って使用するようになりました。

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